江戸時代中期に生きた人相学の大家に、水野南北(みずの なんぼく、1757年頃-1834年)という人物がいます。
水野南北は、宋時代の陳希夷(ちん きい、872-989年)がまとめた人相の秘伝書『神相全編』を若いころに学んだうえで、 様々な人生経験を積みながら人相占いを重ねていきます。
その後、南北流の人相占い法を確立して、40~50代前半に『南北相法』としてまとめました。 また、粗食と開運の関係についても深く考察しており、50代前半に『相法修身録』としてまとめています。
その『相法修身録』のなかで水野南北は、 「人相だけで運勢の吉凶を占えば判断を誤ることになる。 良相であっても悪相であっても、食を慎むかどうかが運勢の吉凶に大きな影響を与えるからだ。」 とする説を展開しています。
以下に、水野南北の説を要約してみます。
人相を観るだけでは、運勢の吉凶を正確に言い当てることはできません。 食を慎むか慎まないかの違いが、その人の運勢の吉凶に大きく影響するからです。 人相を観る際には、あらかじめ相手に多食か少食かを確認することで、鑑定の大きな誤りを避けられるでしょう。
食は、命の根本です。 人は誰でも、それぞれの器に応じて、天から与えられる食物の取り分が決まっています。 この食物の取り分を超えて大食を続ける人は、自然摂理に逆らうものと言えるでしょう。 自然摂理に逆らえば、運勢が乱れるのは当然のことです。 運勢を整えるには、“食を慎む”ということが大変重要なのです。
“食を慎む”とは、「食事の量を減らし、規則正しく食べる」ということです。 慎むべき食とは、肉・米・酒などです。葉物野菜などは多く食べても問題ありません。
これは、普段あまり身体を使わない人が特に守るべき訓戒です。 肉体労働者など、普段よく身体を使う人は食べなければ働けませんから、 労働量に応じて多く食べることは必ずしも悪いことではありません。 ただし、労働量が少なくなれば、少食にする必要があります。
また、普段あまり身体を使わない人であっても、 高齢者の場合には老化で衰えた身体を肉食で養生する必要があるかもしれませんから、必ずしも当てはまりません。 また、年少者にも当てはまりません。
食事が不規則な人は、心身が乱れ運気もまた安定しません。 せっかくの良相でも、暴飲暴食していては福運を活かすことはできないのです。 吉相でも食を慎まないなら、晩年は必ず凶となります。
一方で、悪相でも食を慎むことを継続できるなら、凶意は減じます。 食事の量を減らして規則正しくすれば、心身が律せられ、運勢が整ってきます。 たとえ悪相でも大きな悪事を避けられ、晩年には立場に応じた機会に恵まれます。
運勢を良くするために陰徳を積むという考え方がありますが、 慈善寄付や動物愛護では陰徳を積んだことにはなりません。 本当の陰徳とは、「毎日の食事の量を半分にして、残りの半分を天にお返しすること」です。 この行いは、自分以外の者に知らせる必要はなく、自分だけが知ることです。
自分が満腹になるまで食べたうえで、それとは別に用意した食事を神仏に献じるのでは意味がありません。 自分の食べるはずだった食事を減らして、減らした分を神仏に献じることが大切なのです。 仮に毎日2杯食べているなら、それを1杯に減らし、残った1杯を神仏に献じることに意味があるのです。
食を慎むことの大切さを説いた水野南北ですが、彼自身の食生活はどうだったのでしょうか。
水野南北は、若い頃に麦と大豆のみを食べる修行を一年間実行しています。 それによって、自分の人相が変化して運気が大きく変わったと実感する体験をしています。
その体験の後にも様々な修行を重ねており、食を慎む生活を長年継続したことがうかがえます。 そして、晩年には米や餅を一切食べないことを決意して、麦を主食としたことが自著に記されています。
一方で、水野南北は大好きな酒をやめることはなく、一日一合までと上限を決めて飲んでいたそうです。 酒に関する問いに対しては、「少量の酒は活力を与え血色を良くするが、多すぎる酒は命を削る」と答えています。
水野南北は、あまり良相ではなかったようです。
これらの特徴は人相学では悪相とされており、水野南北自身も「私の相は下相」と門人に語っています。
そして、「このような下相に生まれついた自分が人相学の流派を構えることができたのは、 食を慎んだおかげであった」としています。